7.近江散歩(2) 長浜 戦国武将ゆかりの地を訪ねて

長浜を散歩しました。
まず、長浜城へ
長浜城は、織田信長の浅井長政攻めで武功を上げた豊臣秀吉が築城しました。長浜城主となった秀吉は、浅井長政の居城であった小谷城の城下町を移してここ長浜を整備しました。
長浜城は、大坂夏の陣後、廃城となり、城の一部が彦根城などに移築されたようです。
長浜城から望む琵琶湖
秀吉は、長浜城主のとき石田三成と出会ったようです。ある日、秀吉が鷹狩りに出掛けたとき、寺に寄って茶を所望すると三杯の茶を入れて出したのが三成だったとする説があります。しかし、この説は江戸時代に創作された可能性が高いようです。写真は三杯の茶の像(長浜駅前)
長浜は、近江と北陸を結ぶ北国街道が通る城下町であり、たくさんの商家や旅籠が連なる賑やかな町だったようです。
また、長浜には、伏見城の遺構とされる本堂や大広間が移築された大通寺というお寺があります。写真は大通寺に通じる参道
大通寺の山門
大通寺の大広間の襖絵
大通寺の障壁画(狩野永岳筆)
秀吉は楽市楽座や地租免除等の政策で長浜の城下を発展させました。長浜の町民は自宅に秀吉像を置き、礼拝していたようです。写真は秀吉を祀る豊国神社
豊国神社の拝殿
長浜市内から車で長浜市石田町へ
石田三成は現在の石田町の土豪の次男として生まれ、長浜城主の秀吉に仕えました。写真は三成生誕の地に建てられた三成の像
また、三成生誕の地の近くに石田神社があります。
石田神社の三成の供養塔
石田三成の旗紋に使用された「大一大万大吉」は、「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味らしいです。
秀吉と三成が出会ったとされる観音寺
観音寺には三成が秀吉に茶を献するとき水を汲んだとされる井戸があります。
観音寺から車で関ヶ原へ
秀吉政権でたくさんの功績を上げた文治派の三成は次第に傲慢になり、武断派であり秀吉の遺命を破る家康と対立していきます。そして、三成は関ヶ原の笹尾山に陣を構え、家康との戦いに望みます。写真は笹尾山
三成は、親友である大谷吉継に「お主は才智に長けているが勇が足りない。誰よりも真っ先に命を捨てる覚悟で戦陣に挑んでもらいたい」といわれたそうです。しかし、戦いに敗れた三成は、伊吹山に逃れ、家康の家臣によって捕らえられ京都六条河原で斬首されました。写真は笹尾山から望む古戦場
三成の西軍の兵力は東軍の兵力より勝っていたとも言われますが、豊臣政権を支え、領民に慕われていた三成の大いなる企ては夢と潰えてしまいました。ここ笹尾山も大きな歴史の転換の舞台となったのですね。
これで、石田三成を偲ぶ近江散歩(2)を終わります。

(追)
忍城攻めの時、三成が築いた石田堤(行田市)