まず、千波湖へ
千波湖は、かつて水戸城の南側の外堀を形成していた大きな湖だったようですが、昭和になって埋めてられて現在の大きさになったようです。
千波湖の畔に徳川斉昭(烈公)と最後の将軍慶喜の銅像がありました。
千波湖から偕楽園へ
偕楽園は、水戸藩主徳川斉昭によって作られた庭園であり、領民と偕(とも)に楽しむ場にすることを望んで名付けられたようです。
偕楽園から常磐神社へ
千波湖の畔に徳川斉昭(烈公)と最後の将軍慶喜の銅像がありました。
千波湖から偕楽園へ
偕楽園は、水戸藩主徳川斉昭によって作られた庭園であり、領民と偕(とも)に楽しむ場にすることを望んで名付けられたようです。
偕楽園から常磐神社へ
弘道館は、江戸時代末期に徳川斉昭によって設立された水戸藩校であり、武道の他にも科学や諸学問の教育、研究の場、また水戸学の舞台となったようです。写真は弘道館の正門です。
弘道館の正庁
正庁の玄関を入ると「尊攘」と書かれた掛け軸があります。安政3年に斉昭の命によって書かれたようです。なお、藤田東湖によって起草された弘道館記には、「尊皇攘夷」の語が用いられているそうです。
旧弘道館から旧水戸彰考館跡へ
弘道館の正庁
正庁の玄関を入ると「尊攘」と書かれた掛け軸があります。安政3年に斉昭の命によって書かれたようです。なお、藤田東湖によって起草された弘道館記には、「尊皇攘夷」の語が用いられているそうです。
旧弘道館から旧水戸彰考館跡へ
水戸彰考館は、江戸時代、2代水戸藩主徳川光圀により、大日本史を編纂するために建てられ、その大日本史は250年の歳月をかけて明治39年に完成しました。彰考とは、「歴史をはっきりさせて、これからの人の歩む道を考える」という意味のようです。
旧水戸彰考館跡から水戸第一高校へ
旧水戸彰考館跡から水戸第一高校へ