京都散歩(21)ー正伝永源院ー 織田有楽斎

正伝永源(しょうでんえいげん)院は、建仁寺の塔頭であり、明治期に正伝院が廃仏毀釈で廃寺となった永源庵の跡地に移ってきて両塔頭の名を合わせて正伝永源院となったようです。写真は正伝永源院の山門です。
正伝院は、大阪冬の陣の後、京都に隠居した織田有楽斎が復興し、有楽斎はここ正伝院で茶を極めたようです。また、永源庵は熊本藩主細川家の菩提寺の一つとなったようです。写真は庫裏です。
織田信長の弟である織田有楽は武将として現在の群馬県の小幡氏を降伏させたようですが武功は少なく、隠居後は趣味の茶道に専念したようです。写真は有楽斎の墓です。
新緑がきれいな方丈前の庭園の奥に有楽斎が建てた茶室がありました。なお、東京の有楽町の町名は織田有楽斎に由来するとの説がありますが、俗説とする説もあるようですね。
方丈の中から見た庭園です。
方丈には、正伝院の扁額と永源庵の扁額が並べられています。
有楽斎は、信長の死後、剃髪し千利休に師事して後に茶道有楽流を創始したようです。また、有楽斎はここ正伝院に如庵という草庵風の茶室を建てました。写真は復元された如庵です。有楽斎が建てた如庵は国宝に指定され、現在は愛知県の犬山に移築されています。躙り口と土間が直結されている形式は利休の流れを守っていますね。
如庵は、杮(こけら)葺きの入母屋造りで二畳半台目(にじょうはんだいめ)の茶室です。杮葺きは薄い木片を重ね敷き詰めた屋根であり、入母屋は切妻造りの下部に庇(ひさし)屋根を付けた屋根であり、二畳半台目は二畳半の客座と一畳の点前座の構成のようです。竹の格子窓は、下地窓(したじまど)と呼ばれ、土壁の一部を塗り残して、下地の小舞(こまい)と呼ばれる格子状に組んだ竹などを見せた窓のことのようです。写真は下地窓です。侘び寂の世界ですね。
正伝永源院は熊本藩主細川家の庇護を受けたことから元内閣総理大臣の細川護熙氏筆の襖絵がありました。写真はその襖絵です。
(追)
ブラタモリでも紹介されました正伝永源院近くの祇園花見小路です。犬矢来が京都らしいですね。
祇園花見小路のお茶屋さん
茶室を少し勉強した正伝永源院の散歩を終わります。