京都散歩(33) 天龍寺 -夢窓疎石-

天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山であり、南禅寺に次ぐ京都五山一位の禅寺ですね。天龍寺の山号は霊亀山であり、小倉山(亀山)に因んでつけられたそうです。写真は渡月橋と、その背後の亀の甲のように丸い小倉山です。
天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇を弔うため、亀山天皇の離宮だった亀山殿が寺に改められたそうです。尊氏は後醍醐天皇が始めた建武の新政に反発し、後醍醐天皇と対立しましたが、禅僧夢窓疎石(むそうそせき)の勧めにより、禅宗の「怨親平等」の教えに従い天龍寺を建立したそうです。
天龍寺は、創建当時、嵐山を含む広大な寺領を有していたそうです。建物は火災や応仁の乱、禁門の変などで焼失し、伽藍の大部分は明治期以降のものようです。写真は庫裏です。
庫裏に入るとお馴染みの達磨図がありました。
多宝殿には後醍醐天皇の木造が安置されていました。
方丈の前には夢窓疎石が室町時代に作庭したといわれる曹源池庭園が広がります。曹源池庭園は、禅僧の修行のために造られた庭であり、参拝者がいなくなった夜間などに、禅僧が庭園に向かって方丈に座り、修行を行うそうです。写真は大方丈から見た曹源池庭園です。背後の嵐山が借景となっています。
曹源池庭園は、池の手前に白砂で日本の州浜が表現され、池の対岸に石組みで中国の荒磯が表現され、背後の嵐山と亀山を借景とし奥行きをもたせているそうです。なだらかな州浜で表した王朝文化と石組みや借景で表した禅宗文化が融合していますね。写真は背後の亀山を借景とした曹源池です。
曹源池の中央正面には、龍門の滝の石組みが配されています。龍門の滝は、中国の登竜門の故事になぞらえて作られ、鯉が滝を上る姿を表しているそうです。写真は龍門の滝の石組みです。
曹源池の名は、夢窓疎石が池の泥をかき上げたとき、「曹源一滴」と書かれた石碑が現れたことに由来するそうです。「曹源一滴」とは、「一滴の水は命の水であり、あらゆるものの根源」という意味を表しているそうです。写真は小方丈から見た曹源池庭園です。
また、禅宗は禅の修行によって人間の真の生き方を悟ろうとするものであり、その禅宗の教えを修行僧に伝えるために禅宗庭園が作られ、この曹源池庭園は夢窓疎石の教えを表しているそうです。写真は大方丈と曹源池です。
この曹源池庭園から夢窓疎石の教えを読み取ることはとても難しいことですが、石組みや借景などの「みたて」により、何事も無駄にしないことが大切であることは理解できるような気がします。
天龍寺の散歩を終わります。