京都散歩(45) 曼殊院門跡、圓光寺、詩仙堂、金福寺

曼殊院門跡は、桂離宮を造営したことで知られる八条宮智仁親王の第二皇子である良尚法親王によりこの地に移され、国宝の黄不動画像や曼殊院古今和歌集などの沢山の文化財を所蔵する寺院でした。写真は曼殊院門跡の勅使門です。
勅使門と鮮やかな紅葉
大書院庭園
大書院の杉戸の引手金具は、瓢箪の意匠が施されていました。この瓢箪の意匠は桂離宮と共通しており、そのため曼殊院は「小さな桂離宮」といわれているようです。
小書院庭園の鶴島
曼殊院門跡から赤山禅院へ
赤山禅院は、比叡山延暦寺の塔頭の一つであり、赤山大明神を御所の表鬼門を守護する鎮守として祀っているようです。写真は赤山禅院の山門です。
参道の灯篭
紅葉と拝殿
赤山禅院から圓光寺へ
圓光寺は、徳川家康が足利学校の学頭であった閑室禅師を招き開いた圓光寺学校が前身であり、1667年に現在の一乗谷に移転されたようです。写真は圓光寺の山門です。
講堂前の奔龍庭(ほんりゅうてい)
十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)
水琴窟
十牛之庭の灯篭
圓光寺の座禅堂と講堂
圓光寺から詩仙堂へ
詩仙堂は、江戸時代初期に、徳川家の家臣であった石川丈山が造営、隠棲し、凹凸窠(おうとつか)と呼ばれた山荘が前身のようです。
石川丈山は、大坂の陣の後、59歳で詩仙堂を造営し、90歳で没するまでをここ詩仙堂で詩歌三昧の生活を送ったようです。詩仙堂の名は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間があることに由来するそうです。写真は詩仙の間から見た丈山作庭の庭園です。
手水鉢と庭園
園水を利用して音響を発し、鹿猪が庭園を荒らすのを防ぎ、また丈山自身も静寂の中にこの音を愛し朗隠の慰めとしたといわれる丈山考案の僧都(そうず)です。一般には鹿おどしといわれていますね。
紅葉と嘯月楼(しょうげつろう)
百花場と呼ばれる庭園の灯篭
庭園に佇む石仏
詩仙堂から金福寺へ
金福寺には、松尾芭蕉が滞在したとされる芭蕉庵があります。写真は金福寺の中門です。
方丈庭園
方丈庭園から芭蕉庵へ
一時荒廃した芭蕉庵を与謝蕪村が再興したそうです。写真は芭蕉庵です。
芭蕉庵の内部は三畳台目の茶室となっています。
与謝蕪村は芭蕉を敬慕していたようですね。
この後、黄昏の東寺へ
東寺のライトアップ



曼殊院門跡、圓光寺、詩仙堂、金福寺の散歩を終わります。