京都散歩(43) 平等院 -藤原氏の栄華と極楽浄土-

平等院は、藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めて造営したものであり、藤原氏の栄華の象徴といわれているようです。頼通は、父道長が夢見ていた極楽浄土を再現するために現在の鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園を完成させたようですね。写真は極楽浄土があるとされる西方を背面として建てられた鳳凰堂と浄土式庭園の平等院庭園です。
浄土式庭園は、仏教の浄土思想の影響を受け、平安時代から鎌倉時代に築造された庭園であり、寺院建築物の前に池が広がる形式の庭園です。写真は平等院庭園の阿字池ともみじです。
藤原道長は、平安時代の公卿であり摂政となって政権を掌握したようですが、民のことを考えた政治を行うより権力を手中にすることに専念した人のようです。道長は、五男であり有力な兄達がいたため目立たない存在でありましたが、兄たちの死や長女彰子を一条天皇に入内させるなどの策略で摂政まで昇りつめ、後継体制を固めると権力の誇示と浄土信仰に傾倒したことから法成寺(現存せず)の建立に精力を傾けたようです。この法成寺は後に平等院の範となったようです。写真は平等院の阿字池と鳳凰堂の北翼廊です。
藤原頼通は、父道長から摂政を譲られた後に関白となって藤原氏の全盛期を築き、父道長没後に道長の別荘である宇治殿を平等院鳳凰堂に改修したそうです。しかし、藤原氏の全盛期を築いた頼道は子女に恵まれず、また戦乱などがあったことにより、次第に権勢を失い、やがて院政と武士が台頭する時代へと移っていったそうです。写真は阿弥陀如来像を安置する鳳凰堂(阿弥陀堂)へ繋がる反橋と庭園の州浜です。
平等院庭園は、鳳凰堂(阿弥陀堂)の東側に蓮を植える園池が大きく広がる形式をとっています。蓮が咲く池に両翼を広げた鳳凰のような華麗な鳳凰堂が移ることで浄土を空想させたといわれているようですね。写真は夕日(極楽浄土の後光)を受けた鳳凰堂の前に大きく広がる阿字池です。
浄土とは、仏教において一切の煩悩やけがれがない仏や菩薩が住む清浄な国土をいうそうです。そして、平等院は阿弥陀仏の浄土(西方浄土)を背面として東向きに建てられ、池を隔てた東側の現世から見た極楽浄土を表しているそうです。写真は鳳凰です。
権力を得るために争い、最後に極楽浄土の世界を夢見た道長、その父の思いを平等院の鳳凰堂と庭園として具現化した頼道、藤原氏の栄華を築いたその二人の思いがこの平等院に表されているのですね。
平等院から宇治川へ
写真は宇治川と喜撰橋の擬宝珠です。
平等院の鎮守社といわれる宇治上神社
寝殿造りのの拝殿(国宝)
参道(琴坂)が美しい興聖寺
宇治橋の東側のたもとで通行人に茶を振舞ったとされる通園
宇治川と宇治橋
平等院の散歩を終わります。