京都の日本庭園 #5 -御所と離宮の庭園-

京都御所には、御池庭(おいけにわ)と御内庭(ごないてい)の2つの庭園があります。
御池庭は、池泉回遊式庭園であり、池の手前に大きく湾曲した州浜、池には反り橋(欅橋)で繋がれた中島が配され、その背後に大きな樹木を配して奥行きを形成している優雅な庭園です。御所に池を中心とした庭園が造られたのは江戸時代になって小堀遠州が作庭に参画してからのようです。写真は御池庭です。
御内庭は、曲折した遣り水を流し、土橋や石橋を架けた雅な構成となっています。写真は曲水に架かる重厚な石橋です。
また、仙洞御所には、後水尾上皇が作庭したと伝わる庭園があります。仙洞御所の庭園は、小堀遠州によって作庭されましたが、その後に後水尾上皇が大きく改修したと伝わるようです。庭園は南池と北池に分かれ、南池は大きく湾曲した州浜を形成して大海を表しています。写真は南池と州浜です。
また、南池には中島に繋がる八つ橋が架けられています。八つ橋は、藤棚が設けられた贅沢な石橋となっています。この八つ橋は、伊勢物語の三河の八つ橋に見立てて造られたのかもしれませんね。また、州浜は大きさがほぼ同じ楕円形で扁平の石(約11万1千個)が隙間なく敷き詰められて構成されています。この石は、小田原藩主が領民に集めさせて献上したものであり、石一個で米一升と取り換えたため「一升石」と呼ばれているそうです。写真は八つ橋と州浜です。
水戸光圀が献上したと伝わる雪見灯籠
南池の南端の茶室「醒花亭」(すいかてい)、露地の灯篭は加藤清正が献上したと伝わる朝鮮灯籠です。

次に、離宮の庭園として桂離宮と修学院離宮をみていきます。
桂離宮は、八条宮智仁(としひと)親王により、1615年頃創建され、二代智忠によって1662年頃完成されたと伝えられています。桂離宮は、複雑に入り組む汀線をもつ池、五つの中島に架かる土橋、板橋、石橋、また書院や茶室に寄せて船着きを構え、灯篭や手水鉢を配した回遊式庭園と、数寄屋風の純日本風建築とにより構成され、日本庭園の最高傑作といわれています。写真は桂離宮の御幸道です。

御幸門から御幸道を進み古書院に着くまでの間は池が見えないように巨大な住吉の松で隠しています。池の眺めを遮り、訪問者が古書院に上がり、広縁から外を眺めたときに初めて池の全景が視界に入るようにするための工夫のようです。写真は住吉の松です。
御幸道を曲がり、進むと徐々に池が見えてきます。御幸道は小石を密に敷き詰めて舗装した苑路であり、この小石を霰(あられ)に見立てて「霰こぼし」と呼ばれているようです。

さらに、進み外腰掛を越えると視界が広がり、池と松琴亭が見えてきます。州浜の先端に据えた灯篭を岬の灯台に見立てて池が大海であることを表しています。また、州浜の先に中島と石橋のつながりで天橋立に見立てています。写真は池と松琴亭です。

松琴亭へは、白川橋と呼ばれる重厚な一枚橋(5.7m)でつながれています。写真は松琴亭と白川橋と織部灯籠です。

織部灯籠は、キリシタン大名の古田織部が好んだことからキリシタン灯籠とも呼ばれ、四角形の笠、火袋、中台を持ち、地中に直接埋め込まれた竿にマリア像が彫られていることが特徴です。また、竿の上部(中台の下)に膨らみを持たせ、十字形を表しているそうです。写真は織部灯籠です。

松琴亭を越えて小高い丘を登ると大きな樹木の間から池と中島を眼下にみることができます。

さらに、進むと田舎家風の茶屋の笑意軒があります。笑意軒の前面には 整然とした方形の池があり、切石を直線的に畳んだ人工的な汀線をもち、北に面する船着場には二箇所の石段から下りることができるようになってます。写真は笑意軒と船着場と雪見灯籠です。
また、笑意軒の近くには珍しい三角灯籠があります。この三角灯籠は、雪見形の変形と言われ、笠も火袋も中台も脚もすべて三角形の灯籠であり、他に例の無いもののようです。
茶室月破楼(げっぱろう)へ続く石畳
桂離宮の石畳は、石の平面を上面として敷き詰めて歩き易さを確保しつつ、進路に沿って並べられ、機能と美しさの両方が考慮されています。

次に、修学院離宮をみていきます。
修学院離宮は、桂離宮の造営開始から約30年後の1655年に後水尾上皇の指示により造営された離宮であり、人工美の桂離宮に対して、比叡山麓の自然を取り込んだ雄大な庭園です。修学院離宮は、背後の樹々や山々を借景に連山を遠望して、谷川や岩・樹木を絶妙に配し、松並木の道と両側に広がる田畑で結ばれています。写真は修学院離宮の田園風景です。

修学院離宮は、谷川をせき止める石垣で大きな浴龍池を造り、その浴龍池を中心とした壮大な庭園としています。写真は石垣を隠すため常緑樹を大きく刈り込んだ大刈込です。

丘の上に建つ茶室である隣雲亭に上ると、突然視界が開け、眼下に広がる浴龍池と遠方に借景となる洛北の山々が見事な景観を作り出します。写真は丘の上に建つ隣雲亭から見た浴龍池です。
浴龍池に注ぐ遣水
浴龍池に架かる中国風の千歳橋
浴龍池に架かる曲線が美しい土橋
浴龍池と隣雲亭と紅葉

このように、幾つかの中の島を巡る回遊路の隅々まで神経を張り巡らせた桂離宮と、ふんだんに周りの自然を取り入れた雄大な山地の修学院離宮は、京都御所や仙洞御所と並び朝廷文化の美意識の到達点を示すものであるといわれ、禅宗寺院の侘び寂を取り入れながら大名庭園を上回る贅沢な庭園となっています。

明治期以降の日本庭園へ続く