10.犬山、多治見散歩 -茶室如庵と古刹永保寺-

愛知県犬山市の名鉄犬山ホテル内に茶室如庵があります。
茶室如庵は、織田信長の実弟で戦国武将あって、大茶匠であった織田有楽斎が建てた茶室です。京都山崎妙喜庵内の待庵(千利休)、大徳寺龍光院内の密庵(小堀遠州)とともに、現存する国宝3茶室の1つです。
如庵は、1618年に京都建仁寺の塔頭正伝院に建てられ、明治時代に祇園町の有志、三井家と渡り、戦後の財閥解体の影響を受けて名古屋鉄道の管理下となって犬山に移築されたそうです。その間、京都、東京六本木、大磯と転々とし、戦災などに遭うことなく創建当時の様子を残しているようです。如庵は、柿葺(こけらぶき)入母屋風の屋根の妻を正面に向けて、左方に入り込んだ土間庇を形成し、「如庵」の額をかかげた外観となっています。写真は如庵の正面です。
露地に設置された蹲踞(つくばい)は、「釜山海」という銘を持ち、波に洗われてできた水穴の石を用いたとても珍しいもののようです。伝承によれば文禄の役の際に加藤清正が釜山沖から持ち帰り、秀吉が有楽斎に与えたといわれているそうです。写真は釜山海です。
土間庇の下には飛石と躙り口、躙り口の上と右に連子窓、連子窓の奥に下地窓を備えています。また、左に入り込んだ土間庇を設け、その土間庇の下に飛石と躙り口を設けている如庵は、躙り口が茶室の正面に設けられている利休の待庵とは趣を異にしています。
如庵の内部の構造は、二畳半台目(丸畳二畳+半畳一畳+台目畳一畳)茶室となっており、点前座と客座の間に中柱とアーチ状にくり貫かれた板壁が配されています。また、客座の奥には外側から竹が縦並べられた「有楽窓」と呼ばれる窓が設けられ、その有楽窓の下の壁には古暦が貼られた「暦張り」となっており、独特の工夫がこらされいます。写真は点前座(左)と客座(右)です。客座奥の窓が「有楽窓」です。
客座の前には床が設けられ、切り出したままの床柱が詫び寂びの雰囲気を出しつつ、写真では確認できませんが床柱の右側には斜めの壁を設けて独特の世界を創り出してます。
このように随所に新たな工夫が施された如庵は、質素で小さな二畳台目の利休の草庵茶室「待庵(たいあん)」と趣を異にし、武家有楽の世界を表現しているように感じられます。
なお、下の写真はJR京都線山崎駅前にある妙喜庵の待庵です。
利休作と伝えられる二畳台目の待庵の内部は明かりも少なく質素な作りとなっています。
犬山から多治見市の虎渓山永保寺へ
永保寺は、臨済宗南禅寺派の寺院であり、1313年に夢窓疎石によって創建されたようです。
京都の西芳寺(苔寺)をはじめ、鎌倉の瑞泉寺、京都の天龍寺など夢窓疎石の作による庭園が各地にありますが、 永保寺の庭園も夢窓疎石の代表作の一つであり、 自然の地形、景観を巧みに利用して築造された中世禅宗寺院の庭園です。創建当時の虎渓山は四隣数里人無き幽境といわれ、夢窓疎石は四囲の山の姿、岩石の形、水の流れを洞察してこの永保寺庭園を造ったようです。下の写真の臥龍池に架かる橋は無際橋と呼ばれ、現在ではこうした屋形のある橋は珍しく、夢窓疎石の作庭にこの種のものがあったとされ、昔からの形を伝えるものと考えられているそうです。
臥龍池の脇にそびえたつ岩山である梵音巌(ぼんのんがん)から流れ出る水瀑は梵音の滝と名づけられ、臥龍池に水を注いでいます。このように、永保寺庭園は、自然美を尊重し、これを利用して作られた室町時代禅宗寺院の庭園の代表的なものであるといえるようです。写真は梵音巌と臥龍池です。
自然を取り込み、自然の中に造園された永保寺庭園は、嵐山や小倉山を借景として自然を取り込んだ天龍寺曹源池庭園と共通する夢窓疎石の造園思想を感じることができました。

木曽川と犬山城
茶室如庵と古刹永保寺を巡った犬山、多治見の散歩を終わります。