京都散歩(31) 泉涌寺、芬陀院

泉涌寺は、東山の南端である月輪山の麓にあり、皇室の菩提寺であることから御寺(みてら)と呼ばれているようです。後堀河天皇により皇室の菩提寺とされ、江戸時代においては後水尾天皇から孝明天皇に至る歴代天皇が葬られているそうです。写真は月輪陵(つきのわのみささぎ)です。
泉涌寺は、空海を開創者とする説もあるようですが、実質的な開基は鎌倉時代の俊芿(しょんじょう)という僧侶だったようです。写真は御寺泉涌寺の大門です。
大門を抜けると仏殿に向かって下り参道が続きます。寺院の参道は通常登りになっていますが、修行道場の泉涌寺は同じく修行道場である比叡山の根本中堂と同様に下り参道となっているようです。写真は下り参道と仏堂です。
俊芿は、宋にわたり、宋から多くの文物を持ち帰って泉涌寺の伽藍を建てたそうです。密教の中心堂宇は通常、「本堂」、「金堂」と呼びますが、泉涌寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いているそうです。写真は仏殿です。
仏殿の近くには、今も湧き出る清泉があり、ここで清泉が湧き出たことから寺号を仙遊寺から泉涌寺に改めたそうです。写真は清泉を覆う泉涌水屋形です。
皇室との結び付きが深い泉涌寺には明治天皇が旧御所で使用していた御殿を移築した御座所があります。御座所は、現在も今上天皇をはじめとし皇室の方々が訪れた際に休憩所として使用されているそうです。写真は御座所です。
御座所の庭園からは月輪陵へ直接行くことができる門がありました。皇室の方々はこの門を通り月輪陵へ行くのでしょうね。写真は御座所庭園です。
御座所庭園は、写真では確認しにくいですが、雪見灯籠が落ち着きをもたせていますね。
泉涌寺から芬陀(ふんだ)院へ
芬陀院は、東福寺の塔頭であり、雪舟作の庭園を伝えることから「雪舟寺」とも呼ばれているようです。写真は分陀院の山門です。
山門から庫裏に続く石畳
南庭の「鶴亀の庭」は、水墨画家であり、禅僧である雪舟が作庭したものと伝わっています。写真は書院から見た鶴亀の庭の亀島(右の石組み)と鶴島(左の石組み)です。
鶴亀の庭は、永い歳月で荒廃してしまったため、昭和の作庭家重森三玲により一石の補足もなく再現されたようです。その鶴亀の庭を見ながら抹茶で一服
茶室へ続く露地のつくばいと灯篭
茶室図南亭から望む東庭
泉涌寺、芬陀院の散歩を終わります。