京都散歩(40) 銀閣寺 -和風住宅様式の原流、東求堂-

沢山の参拝客でにぎわう銀閣寺(東山慈照寺)は、臨済宗相国寺の境外塔頭であり、室町幕府8代将軍足利義政が金閣を模して造営した東山殿が寺に改められたようです。しかし、義政は銀閣(観音殿)の完成を見ることがなかったようですね。写真は展望台から望む銀閣です。
銀閣の脇の向月台
花頭窓越しに見る銀沙灘
銀閣寺には日本様式の住宅建築の要素を強く残した義政の持仏堂である国宝東求堂(とうぐどう)がありました。東求堂の内部は、襖などで4室に仕切られ、仏間や書斎などがあります。仏間は、床を板敷とし、天井は折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)とした寝殿造りの部屋であり、書斎は、違い棚、付書院(机)が配置され、畳を敷き詰めた4畳半「座敷」の部屋でした。写真は東求堂の外観です。
東求堂の書斎は「同仁斎」と呼ばれ、4畳半座敷、棚と付書院は現存最古のものであり、現代日本様式建築の床の間や座敷の源流となり、また4畳半茶室の始まりともなっています。その後、書院造は日常的な住まいから接客広間、そして二条城の二の丸御殿に代表される対面所として変遷していったようです。将軍職を譲り、文化に傾倒した義政は4畳半の同仁斎を日常的な住まいとして使用し、書画や茶の湯を楽しんでいたのでしょうね。写真(撮影禁止のため特別拝観の看板を撮影)の上部は同仁斎の付書院と書院窓です。付書院の上には、硯や筆などが置かれ、明り採りの書院窓を開けると掛け軸のように北庭が映りました。
東求堂では、板敷の平安寝殿造りの仏間と、座敷で構成された室町書院造の書斎を同時に見ることができ、和風住宅様式の流れを感じることができました。写真は義政筆を複製して江戸時代に造られた東求堂の扁額です。
また、義政は東山殿の造営にあたって夢窓国師が作庭した西芳寺(苔寺)に倣って庭園を構成し、その庭園は池泉回遊式庭園の発祥ともいわれているそうです。写真は庭園の錦鏡池に架かる石橋と東求堂です。
後継者問題から応仁の乱の一因をつくり、戦火の京都市中から逃げてきた(?)義政はここ東山殿で隠棲生活を送っていたのですね。
(追)
銀閣寺から法然院、安楽寺、吉田神社へ経て京都大学吉田キャンパスへ
湯川秀樹など6人のノーベル賞受賞者を輩出している京都大学の百周年時計台記念館
京都大学構内にノーベル賞受賞記念の石碑がありました。
京都大学の近くの出町柳の満月で阿闍梨餅を楽しみました。
銀閣寺の散歩を終わります。