隠元は、1654年に来日し、江戸幕府から与えられた宇治の地に、故郷の黄檗山萬福寺と同名の萬福寺を建立したようです。中国から沢山の文化が伝えられた萬福寺は、伽藍などに中国色が色濃く残っています。写真は総門であり、左右の屋根が低い牌楼(ぱいろう)式といわれる中国的な門のようです。
総門をくぐると三門が見えてきます。三門は、空門、無相門、無願門の三境地を経て悟りの世界に入る門(三解脱門)のようです。写真は三門です。三門から天王殿へ続く参道の石の配置がきれいですね。
弥勒菩薩の化身とされる布袋像を安置する天王殿
天王殿の布袋像
天王殿の奥の斎堂(食堂)の脇に開梆(かいぱん)と呼ばれる木製の大きな魚がありました。この開梆を叩いて食事や法要の時間を知らせるようです。
開梆を叩くためのバットのようなものがありました。
屋根の形状が美しい法堂
法堂の南の大雄宝殿の内部には隠元像がありました。隠元は、中国から禅宗の教えを日本に伝えるとともに、明の書をはじめとする中国文化を伝え、またインゲン豆の名を残し、さらに日本における煎茶道の開祖とされているようです。この頃、伝えられた明の仏典などに明朝体が使われていたことから日本でも明朝体が使われるようになったようです。
法堂から見た大雄宝殿、手前が卍崩しの欄干
寿塔
開山堂の卍の欄干
萬福寺の散歩を終わります。