京都散歩(9)-聖護院-

聖護院へ
聖護院(門跡)は、修験道の総本山であり、白河上皇の熊野詣で案内役を務めた増誉大僧正に、聖護院を与えられたことに始まるそうです。聖護院は「聖体護持(天皇をお守りすること)」から2字をとったことにその名が由来し、代々、皇族か摂関家が門主(住職)を務め、孝明天皇などの仮皇居ともなり皇室と縁の深い門跡寺院のようです。写真は山門です。
修験道は、山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る、という出家・在家を問わない菩薩道、即身即仏を実修する日本古来の宗教のようです。聖護院は、山中で修行をする修験道の行者であり、山に伏したことから山伏といわれる「山伏の総本山」のようです。
聖護院の宸殿では、狩野山楽の子である狩野永納と、狩野探幽の養子である狩野益信による金碧障壁画130面が公開されていました。宸殿とは天皇ゆかりの建物であり、高貴な方をもてなす建物であるそうです。建物を意味する「うかんむり」の中に天皇の象徴である「辰(龍)」がいることで、高貴な方の建物を意味しているそうです。写真は宸殿です。
宸殿の北側には書院があります。書院は、後水尾天皇が建てたものであり、御所から移築されたと伝わるようです。写真は書院と庭園です。
書院の前庭にはうさぎが置かれていました。これは住職の遊び心のようです。
聖護院から熊野神社へ
熊野神社は、聖護院の守護神とされ、熊野信仰が盛んだった平安末期、度々熊野詣を行った後白河法皇に崇敬されたようです。
これで聖護院の散歩を終わります。