興臨院は前田利家により改修され、それ以来加賀藩前田家の菩提寺となっています。写真は興臨院の唐門へ続く中庭と庫裏です。
唐門を抜けると方丈庭園が広がります。方丈庭園は白砂に大きな石と松をあしらって、理想的な蓬萊(古代中国で仙人が住むという)世界を表しているようです。
唐門の火灯窓(かとうまど)から見る方丈前庭
方丈の北庭は色づいたもみじがきれいでした。
瑞峰院は戦国大名大友宗麟により自らの菩提寺として創建された大徳寺の塔頭です。
方丈前の独坐庭は、巨石で表した蓬萊山からのびる半島と小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いているそうです。写真はその独坐庭です。
方丈裏の閑眠庭は、大友宗麟がキリシタン大名だったことから、7個の石組みで十字架を形作っているようです。写真は閑眠庭ですが十字架はよく分かりませんでした。
瑞峰院から黄梅院へ
黄梅院は、本能寺の変により信長が急逝し、その葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われた際、秀吉により信長の塔所として黄梅庵(現在の黄梅院)が改築されたそうです。その後、小早川隆景等の帰依を受け、堂内が整備されたようです。
写真は小早川隆景の寄進により建立された庫裏です。
境内には千利休が作庭した直中庭(じきちゅうてい)や、破頭庭(はとうてい)、作仏庭(さぶつてい)などがありましたが、写真撮影できなかったことが残念でした。
これで大徳寺(興臨院、瑞峰院、黄梅院)の散歩を終わります。