3.秋田・山形散歩 角館~秋田~酒田~鶴岡~羽黒山

今回は、秋田・山形を散歩しました。

まず、みちのくの小京都と呼ばれる角館へ
角館は、出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主佐竹義宣の弟である蘆名(あしな)氏が入部し、蘆名氏によって南北に長い城下町が整備されたようです。写真は、南北に伸びる武家屋敷通りです。
角館から秋田市へ
秋田は、久保田(秋田)藩時代から城下町として、また北部にある土崎港が北前船の寄港地であったため海運などで栄えていたようです。写真は、明治45年に建てられた旧秋田銀行の本店です。
秋田は8月に竿灯まつりが行われることで有名ですね。竿灯まつりは、竿灯全体を稲穂に、提灯を米俵に見立て豊作を祈る祭りのようです。
市内中心部にある千秋公園へ
千秋公園は、久保田城の跡地に整備された公園です。久保田城は、関ヶ原の戦いの後、家康の命により常陸から秋田に移封された佐竹義宣(よしのぶ)により築城されました。この久保田城は、土塁で築かれ、天守もない平山城であり、幕府に恭順の意を表していますね。
現在は、広大な城内に御隅櫓が復元されています。写真は、その御隅櫓であり、展望台からは秋田市内や遠く男鹿半島を望むことができます。
秋田市から酒田市へ
酒田は、江戸時代、出羽国の幕領米を西回り航路で運び出す港町として繁栄し、「西の堺、東の酒田」と言われたようです。その酒田を中心に農地改革による解体まで日本最大の地主と言われたのが酒田本間家だったそうです。写真は、本間家旧本邸です。
最上川の河口に位置する酒田は、山形までの最上川の水運が整備されると、酒田から江戸を結ぶ西回り航路が開通され、重要な経済都市に発展していったようです。写真は、最上川の河口に近い新井田川の中州に、明治26年に建設された米穀倉庫である山居倉庫です。ケヤキは日差しや冬の強い季節風を遮り、そのケヤキにより倉庫内の温度や湿度を保つようにしていたようです。
また、倉庫の屋根は断熱を考慮した二重構造にしています。山居倉庫とケヤキ並木はロケ地として度々使用されているようですね。
酒田市から鶴岡市へ
鶴岡は、江戸時代には庄内藩の城下町(出羽国田川郡庄内)として栄え、庄内米の産地でもありますね。写真は、鶴ヶ岡城があった鶴岡公園の「旧西田川郡役所」の建物です。
庄内藩は、関ヶ原の戦いの後、信濃松代藩から酒井忠勝が入封して初代藩主となりました。酒井忠勝は、鶴ヶ岡城を庄内藩の本城とし、その城郭や城下町を整備したようです。写真は、鶴岡公園の致道博物館にある酒井氏庭園です。
鶴岡から羽黒山出羽三山神社へ
出羽三山神社は、羽黒山山頂に月山神社・出羽神社・湯殿山神社の三神合祭殿(さんじんごうさいでん)がある神社です。写真は、出羽三山の入り口となる鳥居とその奥の随神門です。ここから、杉林の中、約2Kmの石段が続きます。
随神門から少し進むと五重塔があります。この五重塔は、素木造り、杮(こけら)葺きで約600年前に再建されたそうです。長い間、風雨や冬の深い雪に耐えているのですね。
五重塔から登りの石段が、一の坂、二の坂、三の坂と続きます。その二の坂を上ったところに、お茶屋さんがあります。行きは沢山の人で賑わっていたので帰りに名物の力餅を抹茶とともにいただきました。
ここからは庄内平野を望むことができます。
随神門から約1時間、石段を上ると羽黒山山頂に到着します。山頂の三神合祭殿は羽黒修験の根本道場です。
ここ羽黒山には、松尾芭蕉も訪れたようですね。「涼しさやほの三か月の羽黒山」~松尾芭蕉~
羽黒山から笹川流れへ
羽黒山での修験(?)のご利益があり、笹川流れでは日本海に沈む綺麗な夕日を見ることができました。
これで秋田・山形の散歩を終わります。