京都散歩(18)-堀川通-

本阿弥光悦、長谷川等伯ゆかりの本法寺へ
今回は釈迦の入滅の日に合わせて行われる涅槃会法要で公開される等伯筆の大涅槃図(重文)を鑑賞するために、本法寺を再訪しました。写真は本阿弥光悦筆の本法寺の扁額です。
 通常は大涅槃図の複製が展示されていますが、涅槃会法要では真筆が展示されます。
大涅槃図は息子久蔵が亡くなった6年後の61歳の時に描かれたもので、高さ10m、横6mにも及ぶ大作です。釈迦の入滅に悲しむ人や動物の姿などから等伯の悲しみが伝わってきます。ガイドさんの説明によると、「約400年前に描かれたものでありますが、色彩が鮮やかに残っており、質の高い絵の具が使用されていることから当時の長谷川家は繫栄していたと思われます」とのことでした。
また、本阿弥光悦が作庭した特別名勝庭園の巴の庭には光悦垣があります。鷹峯の光悦寺と同様の光悦垣は曲線が美しいですね。
 写真は、日蓮上人の「蓮」を表す蓮池であり、夏には奇麗な蓮な花が咲くそうです。
本法寺から和菓子屋さんの鶴屋吉信西陣本店へ
鶴屋吉信では抹茶と和菓子をいただきました。
店の横の細い路地が京都らしいですね。
店舗内には鶴が描かれた杉戸絵がありました。
ここ本店でもコレド室町にある日本橋支店と同様にカウンターで職人さんが和菓子を作っている様子を見ることができます。
作りたての季節の和菓子と抹茶を楽しみました。どちらもとてもお美味しい。
鶴屋吉信から少し西に歩くと西陣の碑があります。この付近は西陣と呼ばれるエリアの南東に位置し、路地に入ると機織りのような音が聞こえてきます。
西陣の碑から晴明神社へ
晴明神社は、平安中期の天文学者安倍晴明を祭る神社であり、1007年(寛弘4)一条天皇により晴明屋敷跡に創建されたようです。安倍晴明は当時の天文暦学から独特の‘陰陽道’を確立したそうです。
境内には一条戻り橋の縮小版がありました。戻り橋は死者が蘇るという伝説があるようですね。
また、ここは、千利休の聚楽屋敷があった地であり、利休終焉の地のようです。利休は、晴明神社の井戸の水で茶会を開き秀吉に茶を振る舞い、また最期にここの水で自服したと伝わるようです。
堀川から見る現在の一条戻り橋です。
晴明神社付近は聚楽第の東端にあたるようです。秀吉は、秀次一族を処刑した後、聚楽第を跡形もなく破壊したようですね。
聚楽第址から平安宮内裏綾綺殿跡へ
綾綺殿(りょうきでん)は、内裏十七殿の一つであり、宮中の舞などが行われたそうです。綾綺殿跡には、食用油専門店の山中油店直営の町家カフェがありました。
その綾綺殿跡の近くには、江戸時代後期から営業している老舗の山中油店があります。店の佇まいが歴史を感じますね。
山中油店から堀川へ
二条城の東の堀川には、二条城の築城に伴って築かれた石垣があります。この石垣は紀州浅野家によって築かれたようです。
聚楽第の痕跡に触れることができた堀川通の散歩を終わります。