京都散歩(35) 壬生、神泉苑、頂法寺

壬生の八木邸へ
八木邸は、新選組の屯所として使われました。清河八郎率いる浪士組が将軍家茂の警護のために上洛したときに宿舎として使用されたのが八木邸だったようです。この時、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三などが京都守護職会津藩主松平容保の配下に属して新選組と名乗ったようです。写真は八木邸
水戸藩浪士だった芹沢鴨は、新選組の初代局長となりましたが、気性が荒く京や大阪で乱暴を働き問題となったようです。このような事態に手を焼いた松平容保は近藤に芹沢の処置を命じたといわれています。そして、近藤や土方たちは酒に酔った芹沢をここ八木邸で暗殺してしまいました。写真は芹沢が暗殺された八木邸の玄関です。
八木邸の近くには壬生寺があります。
壬生寺の境内は新選組の兵法調練場に使用され、砲撃の訓練などが行われたようです。写真は壬生寺
また、壬生寺の境内には新選組隊士の墓や近藤勇の胸像がありました。現在はマニア等に人気のある新選組ですが、明治期後、新政府に抗った新選組に関する多くの資料は処分されてしまったようですね。
「酒を飲まなければ、いい人だった・・・」と言われた芹沢鴨の墓
壬生から北へ歩くと二条城の南に神泉苑があります。
神泉苑は、現在は東寺真言宗の寺院でありますが、元は平安京大内裏の南に接して造られた天皇のための庭園だったそうです。写真は神泉苑の鳥居と善女竜王社
神泉苑には、季節を問わず、またどんな日照りの年にも決して枯れることがないといわれる池があります。ここ神泉苑では、西寺の僧と東寺の空海が雨乞いを競い、善女竜王を勧請した空海が勝ったと伝わるそうです。勝った東寺は残り、負けた西寺はなくなってしまった・・・ともいわれているようですが、定かではありません。写真は神泉苑の池に架かる法成橋(ほうじょうばし)
また、神泉苑は平安期の寝殿造庭園の面影を残す貴重な京都最古の日本庭園ともいわれています。寝殿造庭園とは、寝殿の正面(南側)に、遣水から中島のある池に水を流し込むように造られた庭園のようです。写真は池と屋形船
神泉苑から京都文化博物館へ
京都文化博物館の別館は、明治後期に建築家辰野金吾の設計により建てられたかつての日本銀行京都支店です。赤煉瓦に白い花崗岩を配した辰野式建築ですね。写真は京都文化博物館の別館
別館の内部は当時の銀行の様子を残していますね。
京都文化博物館から頂法寺へ
頂法寺は、聖徳太子により創建され、いけばな発祥の地として六角堂の名で知られているようです。写真は平面六角形の頂法寺の本堂です。
頂法寺は、太子がここの池で身を清めることになり、念持仏を木にかけたところ動かなくなったことから、ここに六角形のお堂を建てたのが始まりだそうです。写真は頂法寺の扁額
頂法寺の池のほとりは、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになったそうです。代々頂法寺の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中で様々な工夫を加え、室町時代の「いけばな」に至ったそうです。写真は池の上に建つ太子堂
池坊のいけばなには、立花・生花・自由花という三つの花形があるようで、そのうち最も古い立花を大成したのが、江戸時代初期に活躍した三十二世池坊専好のようです。写真は池坊専好立花のモニュメント
池坊の名の由来は頂法寺にあったのですね。
壬生、神泉苑、頂法寺の散歩を終わります。