京都散歩(54) 大悲閣千光寺 -保津川と角倉了以-

嵐山の象徴である渡月橋が架かる桂川は、渡月橋より上流の嵐山付近が大堰川、それより上流が保津川と呼ばれるようです。この桂川は、平安京造営時には丹波の木材輸送などに用いられたそうですね。写真は春の桂川と渡月橋です。
渡月橋の少し上流で堰き止められた大堰川には、平安時代は船が浮かべられ、御公家様の観月が行われていたようです。現在でも屋形船が往来し、秋は素晴らしい紅葉が楽しめますね。写真は穏やかな流れの大堰川の上流(保津川)と屋形船です。
しかし、ここより上流の保津川は、巨岩や奇岩がむき出しとなる狭くて流れが渦巻く複雑な河川形状で溪谷をなし、筏は流せても、舟を通すのは容易ではなかったようです。江戸時代初期、丹波地域の豊富な木材や薪炭、米や野菜などの物産を効率よく運ぶには丹波から京都へ向かって流れている保津川に舟を流すのが最適であると考えたのが角倉了以(すみのくらりょうい)でした。
角倉了以は、慶長11年(1606)、大石を大勢の人で引き動かし、水面に出て航行の邪魔になる石は砕くなどの難工事を施し、約5ヶ月で保津川の開削工事を終えたようです。保津川の開削により、丹波から生活基盤の物資が京の都へと運ばれ、都市機能整備の需要材の調達と景気や物価の安定が支えられたようです。その後、了以は高瀬川の開削工事も完成させ、京都と天下の台所・経済の中心地大坂をつなぐことで丹波―京都―大坂を結ぶ舟運による物資流通ルートを整備しました。
そして、水運の父、了以は、保津川近くの大悲閣千光寺で保津川開削工事で犠牲となった人達を弔うとともに、晩年をこの付近で過ごしたそうです。写真は大悲閣千光寺の参道です。
千光寺の観音堂
観音堂から保津川を望む
観光名物の保津川下りの終着である大堰川と小倉山
角倉了以が保津川や高瀬川の開削を行い、舟運による物資流通ルートを整備したことにより、江戸時代に政治の中心が江戸に移っても、京都を衰退させることなく、文化都市として発展させたのかもしれませんね。写真は一之舟入付近の高瀬川と高瀬舟です。
大悲閣千光寺の散歩を終わります。