京都散歩(23)-圓徳院-

圓徳院は、高台寺の塔頭であり、北政所ねねが58歳からの19年間の余生を送った地のようです。写真は寺院には珍しい長屋門です。
庫裏の横の庭園
唐門
新緑と白砂の対照がきれいな方丈前庭園
方丈前庭園では庭師による白砂線引きを見学することができました。庭師さんはまず横の線を方丈前の石に沿って引き、その後、引いた横線に合わせてさらに横線を引いていき庭全体に横線を引きます。
横線がすべて引き終わると、白砂と土の境に沿って庭の左端から湾曲した線を引いていき、右端に到達すると庭全体にきれいな白砂の線が引かれました。庭師さんの説明を含め約20分の白砂線引きでした。
方丈の中では、座禅、写経、写仏などを体験することができ、私は写経に挑戦しました。僅か20文字の写経でしたがお経の意味をかみしめながら丁寧に書いてみました。
また、方丈には長谷川等伯筆とされる襖絵(複製)がありました。大徳寺の塔頭・三玄院の住職春屋宗園(しょんおくそうえん)に襖絵制作を常々懇願しながら許されなかった等伯が、ある日、住職が2か月の旅に出かけて留守であることを知り、客殿に駆け上がり、一気呵成に描きあげてしまったものだと伝えられているそうです。この襖絵はすべて桐紋襖の上に描かれていることから上述の伝えは正しいものと考えられているそうです。
方丈から北書院へ
北書院には秀吉の掛け軸がありました。
また、秀吉の掛け軸と比較すると質素に描かれたねねの掛け軸もありました。ねねは片膝を立て、背景には何も描かれていないことから秀吉が主君でありねねが臣下であることを表しているそうです。
伏見から移され、後に小堀遠州によって手が加えられたとされる北書院前の北庭です。この北庭は大きな岩が多数置かれ迫力のある庭園でした。
北庭の茶室で秀吉公ゆかりの神仏への献茶点前を体験しました。この献茶点前は、秀吉公を喜ばせた家臣古田織部考案の点前のようです。利休没後、秀吉公から「利休の茶人の茶を越えて武士の茶を創造せよ」と命じられた織部は、従来の利休の茶の湯と異なり、武士の心構えを表現しながら、秀吉公が大事にした、ユーモアや機転、即興を織り交ぜてこの点前を考案したようです。まず、写真の手水鉢で手と口を清め、躙り口から茶室へ入りました。
初めて躙り口から入った茶室内の床です。
茶室は大きな窓があり、たくさんの光が茶室内に取り入れられ、利休風の茶室とは異なると感じました。写真は茶室内から見た下地窓です。
茶碗は扇子で覆われ、息がかからないようにしているそうです。秀吉にちなみ和菓子は瓢箪型で金粉がかけられていました。
(追)
圓徳院近くのねねの道
台所坂は新緑が美しい
枯山水庭園の白砂線引き、写経、茶室での献茶点前などを楽しめた圓徳院の散歩を終わります。