京都散歩(13)-養源院-

養源院は、淀殿が父浅井長政の供養のため秀吉に願って建立され、その後、2代将軍秀忠の正室であり、淀殿の妹である江によって淀殿と秀頼の菩提が弔われた寺院です。さらにその後、火災により焼失した後、江の願いにより再建されたとき、伏見城の遺構が移され、徳川家の菩提所になったようです。写真は養源院の山門です。
養源院には、鷹峯の源光庵と同様に、伏見城の遺構である血天井がありました。また、俵屋宗達による杉戸絵や襖絵がありました。
山門から本堂へ続く参道です。
本堂の廊下は、血天井となっています。この血天井は、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見の戦いで西軍に敗れた鳥居元忠以下の武将が自刃したときの血の跡が残ったもののようです。上杉景勝征伐に会津に向かっていた家康は、三成に伏見城を攻めさせるために、元忠をはじめとした僅かな軍勢で伏見城を守らせたようです。元忠は家康に忠義を尽くすため最初から玉砕覚悟で戦い、降伏することなく最後まで戦ったようです。家康は、元忠の忠義を終生忘れず、その後の鳥居家を保護したようです。
また、本堂には、俵屋宗達によって描かれた杉戸の像、唐獅子、麒麟や襖絵がありました。この杉戸絵などは伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれ、当時無名だった俵屋宗達が認められるきっかけとなったようです。一説によると、江が襖絵などの制作を狩野派に依頼したが、遅々として進まなかったため、本阿弥光悦等に相談したところ俵屋宗達が紹介されたようです。写真は杉戸の像のポスターです。教科書等でおなじみの像の絵ですね。
養源院の散歩を終わります。