京都散歩(29) 仁和寺 ー旧御室御所ー

御室(おむろ)仁和寺は、先帝の遺志を継ぎ宇多天皇が完成させた寺院であり、出家後の宇多法皇が住したことから御室御所と呼ばれ、この付近は御室と呼ばれるようになったようです。オムロン(旧立石電機)の創業の地ですね。写真は徒然草を執筆した吉田兼好が庵を結んだ双ヶ岡(ならびがおか)から望む仁和寺の全景です。
仁和寺の伽藍は応仁の乱で全焼し、江戸時代、徳川幕府によって再建され、門跡寺院であることから旧皇居の紫宸殿や清涼殿などが移築されたようです。写真は江戸時代に建立された二王門です。
二王門の力強い金剛力士像(阿形像)
金剛力士像の足の指は大地を掴み、血管が浮き出ています。
二王門から境内に入ると勅使門があります。この勅使門は、明治20年に焼失してしまったため大正期に建てられたものですが、彫刻や欄間の意匠がとても素晴らしいものでした。
勅使門の壁面の透かし彫りはステンドグラスのようですね。
「仁和寺」の軒丸瓦
勅使門の西側の宇多法皇の御所があった場所には現在、御殿があります。写真は御殿の白書院から見た勅使門と南庭です。
白書院の奥には宸殿があります。宸殿は、江戸時代に御所から下賜された常御殿が焼失してしまったため、大正時代に再建されたようです。写真は宸殿の上段の間です。
天井は格式高い折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)
上段の間には宇多天皇の肖像画がありました。
宸殿の前に広がる池泉式の北庭
築山に茶室の飛濤亭、その奥に中門と五重塔を望む北庭は、明治から大正期に整備され、仁和寺の名勝となっていますね。
滝石組みから流れ落ちる水音が心地よい
御殿から参道に戻ると、広い境内の奥に北庭から僅かに見えた中門がありました。
中門を超えると御室桜があります。
遅咲きの御室桜は、江戸時代初期に現在の地に植えられていたようです。
御室桜の向かい側には五重塔があります。
若い僧侶が修行をしてました。
五重塔の奥に仁和寺を守護する九所明神がありました。九所明神には、石清水八幡宮、松尾大社、上加茂・下鴨神社などの合わせて九座の神が祀られているそうです。神仏習合の名残ですね。
参道の正面奥には金堂があります。
金堂は、御所内裏紫宸殿を寛永年間に移築したものであり、現存する最古の紫宸殿のようです。蔀戸(しとみど)などが当時の宮殿建築(宸殿造り)の様式を伝えていますね。
金堂の屋根瓦に亀の上に乗った仙人がいました。この仙人は、黄安仙人という仙人であり、3000年から4000年に一度、水面に顔を出す亀を3~4回見たと伝えられているそうです。仁和寺が永遠に存続することを祈っているのかもしれませんね。
皇室ゆかりの仁和寺の散歩を終わります。