京都散歩(50) 桂離宮 -八条智仁親王-

桂離宮は、八条宮智仁(としひと)親王により、宮家の別荘としてかつて藤原道長の別荘があった桂の地に1615年頃創建されたそうです。智仁親王の没後(1629年)、二代智忠によって書院、茶屋、庭園などが1662年頃完成されたと伝えられています。写真は書院につながる新寝殿です。
桂離宮は、複雑に入り組む汀線をもつ池、五つの中島に架かる土橋、板橋、石橋、また書院や茶室に寄せて船着きを構え、灯篭や手水鉢を配した回遊式庭園と、数寄屋風の純日本風建築とにより構成されています。桂離宮の庭園は日本庭園の最高傑作といわれていますね。また、この地は観月の名所であり、桂の名は月に桂が生えているという中国の故事「月桂」に由来するようです。写真は桂離宮の表門です。
桂離宮の周囲に造られた桂垣
桂垣は、生きた竹を折り曲げて造られています。
桂離宮の中の御幸門から見た表門
御幸門から御幸道を進み古書院に着くまでの間は池が見えないように巨大な松(住吉の松、または衝立の松)で隠しているそうです。池の眺めを遮り、訪問者が古書院に上がり、広縁から外を眺めたときに初めて池の全景が視界に入るようにするための工夫のようです。
御幸道を曲がり外腰掛へ進むと池と松琴亭(茶室)が見えてきます。
外腰掛近くの二重枡形手水鉢と石灯籠
州浜越しに見る松琴亭
州浜の先端に据えた灯篭を岬の灯台に見立てて池が大海であることを表しています。また、州浜の先に中島と石橋のつながりで天橋立に見立てています。
中島と松琴亭
織部灯籠と松琴亭
桂離宮には24基の石灯籠が配されています。
松琴亭は、桂離宮で最も格式の高い茶室であり、冬を表した茶室といわれているようです。
松琴亭の一の間、市松模様の襖が特徴です。白と紺の市松模様は桂離宮を代表する斬新的なデザインのようです。
松琴亭から見た池
松琴亭から賞花亭(しょうかてい)へ
賞花亭は、中島の小高い丘の上に建ち、峠の茶屋ような小規模の茶屋です。写真はシンプルに造られた賞花亭の天井です。
池に架かる土橋、下を船が通るためアーチ橋になっています。
雪見灯籠と笑意軒(しょういけん)
笑意軒は、田舎屋風の茶室であり、直線的な船着き場が造られていました。
笑意軒近くの珍しい三角灯籠
笑意軒の下地窓の上の扁額は智仁親王の兄の筆のようです。
襖の引手金具に矢羽根形の意匠が施されていました。
笑意軒の内部には大きな開口が設けられ、南側の農地が見えるようにしているそうです。また窓の下には金箔を使った独特の意匠が施されていました。
杉戸に描かれた鳥
笑意軒から書院へ
写真は右から中書院、楽器の間、新御殿であり、各建物が雁行形に並んでいます。これはどの建物から見ても庭園が美しく見えるようにする配慮のようです。
中書院の東側の古書院です。古書院は中書院や新御殿より古く、智仁親王により造られたと推定されています。写真は古書院の月見台です。
古書院の月見台の前に広がる池、智仁親王はここで月見を楽しんだのでしょうか。
古書院の北に位置する茶亭の月波楼(げっぱろう)
ここも観月に適しており、秋の茶室といわれているようです。
桂離宮は細部まで全く隙がないように配慮された庭園であり、日本庭園の最高傑作といわれる理由が理解できたような気がします。禅宗庭園に見られない贅を尽くした皇族(八条宮家)の日本庭園、桂離宮を楽しむことができました。
桂離宮の散歩を終わります。